柿渋の歴史

このページでは、柿渋について知らない人たちにもわかりやすく柿渋の歴史を紹介します。

 防水性・耐久性・消臭効果など、さまざまな効果を持った天然素材である柿渋は、木や紙を中心とする日本の文化において、古くから人々の生活に活かされてきました。

 

以下、年表の青字の時代をクリックすると、それぞれの時代の詳しい歴史についてご覧いただけます。


柿渋の歴史年表

時代

 

内容

縄文時代

弥生時代

遺跡として発掘されている

 

平安時代

・漆器の下塗りの記録

・即身仏(ミイラ)に塗布した例

・「柿衣」平安時代下級武士が着ていた

・加賀市の遺跡より柿渋下地の漆器出土

・和傘作り

鎌倉時代

・岐阜高山の漬物桶つくり

・高野山文書に「柿流し」文書これは毒流漁法

室町時代

安土桃山時代

・公家山科家礼記(記録)張籠に貼る渋紙つくり

・雪の日に渋紙使用(合羽の推定)

・籠塗職人が柿渋を張籠の塗料として使用

・加賀での金箔打ち紙に柿渋が塗られていた

江戸時代

 

 

・「擁州府志」に京都の人が柿渋つくり

・「農業全書」柿渋つくり奨励している

・「和漢三才図会」柿渋は紙子酒袋渋下地

 ・丸亀のうちわつくり一貫張り

享保の頃には大阪に14人の渋屋仲間が存在し、柿渋が商品として流通

 ・「諸方渋買帳」京都の柿渋店では宇治・和束・南山城の各地から柿渋購入。

南山城では柿渋製造業者がいた。 

 

明治・大正時代 

 

 

・「運賃の控」加茂町で渋屋をされていた久保田家は南山代、和束、笠置から渋柿を購入し柿渋に加工し京都、大阪の渋屋に販売していた。